心に残っていること         前のページに戻る



マチス
22歳の秋、唐突にパリ、プチパレにて大展覧会を見せてもらった。

そのころ、写真は撮っていたが、特に絵画に対しての強い興味は持っていなかった。

建築家、ティエリー・センソリューのアパートに居候してから間もないある朝、見せたいものがあると、彼のオープンカーに乗せられた。

彼のアパートは16区エグゼルマン駅から数分のところにある。彼の家はほとんどワンルームといっていいくらいの間取りだ。

その大きな空間に、所狭しと彼の描いた少し謎めいた風景画の巨大なカンバスがあちこちに、幾重にも重ねられている。

  • 居候前に何ヶ月か極安ホテルを中心に行動していたので、パリの中心街のおおよそは把握していた。しかしそれも有名な観光スポットと住処近辺の情報が主で、文化的な雰囲気はあまり無かった。ふだん入場料を払って入るのは映画館か名の知れた美術館くらいだった。とにかくお金のかかる事の多くはパスしていた。

そして今日はいきなりオープンカー(少し古い)で展覧会を見に来た。

大きな絵が見上げるような高さで沢山展示されていた。
その空間が何者なのかよく判らなかった。(とゆうか、それ以前に、なんで今日ここに連れてこられたのかなと、状況把握がほとんどできていなかった。)

あっけらかんとしていた。度肝を抜かれたわけでもない。
でもショックを感じた。

大きな絵が心躍るほどに軽やかに見えた。
エルミタージュ美術館所蔵のマチスの大作群だった。
あまりに遠い昔で全ての光景を思い出せるわけではないが、ずっと後になってから
そのシーンが比較的頻繁に心に浮かぶ。

頭上をなにかが軽やかに舞う。

今では自分の原風景とも一致してしまった。
後で知ったのだがマチスの絵が一同に会した最初の展覧会だった。

数年後の冬、仕事でエルミタージュの外観を撮影したが中には入っていない。
その後、何度もエルミタージュと夏の宮殿ツアーを計画しているが未だに実現していない。ロシア旅行は長期、短期含めて10回くらい訪れているがエルミタージュのあるレニングラード(サンクト・ペテルブルグ)は一度きりだ。


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サム・ハスキンス
 パリで写真家のアルベール・ロイに出会う。
アルベールとゆうフランス語の響きが嫌で、
人からはアルバート・ロイアーと英語読みで呼ばせていた。
金髪のあご髭をはやしていた。

アメリカかぶれとゆうより、イギリスの事柄を好んで話す、
ジョー・クッカーを愛する北フランス出身の、実に暖かい人柄の男だった。

彼のアパート(アパルトマン)に夕食に招かれた折、
サム・ハスキンスの本、CAWBOY CATEをプレゼントしてもらった。
軽妙なタッチの女性写真だ。
特に強く感じたわけではないが当時としては、ソフィスティケイトとゆう言葉がぴったりの写真集だった。

この夜、彼の故郷に近いカマンベールのチーズを知った。金賞を取ったと自慢しながらすすめてくれた。今では大好物だが、食べごろちょうどのものが何時でも手に入るとゆう訳ではない。
だがここ最近、家内が抜群のものをある店から買ってくるようになった。

次にハスキンスの作品に出会ったのはシャンゼリーゼの本屋さんだった。
当時の為替レートではかなり高い本だったと思うが、IMAGE DE AFRIQUEを買った。

シンプルでシンボリックで力強い乾燥の大地のデザインを感じた。
いつかこんな写真を撮りたいと思ったに違いないのだが、今となってはその頃の感情をはっきり思い出せなくなってしまった。
いまだに時折本棚から引っ張りだして見返しているが、古く感じるものは何もない。



ピカソ
 バルセロナのゴシック地区にあるピカソ美術館、つよく感動した。
最上階から一階まで徐々に降りてくる展示なのだが、上の階には初期の作品と細かな工夫を凝らした膨大な数の展示品。
人の力が物に加わるとどんな動き、どんな形になるのといった、事細かなシュミレーションをした作品が並ぶ。

階下にいくにつれ時代は晩年に向かう。
晩年の作品群の中に至っては、至上の幸福感に浸る。
心にふつふつと幸せ感が充満する。
美術館から出るのがあまりにもったいなく、また最上階の振り出しに戻る。

何年か後、あまりの感動に妻と共に再び訪れた。バルセロナ・オリンピックの翌年だったと思う。オリンピックを意識して、人の流れをスムーズにする為だろうか、展示作品がかなり少なくなっていた。妻は満足していたようだが、展示の仕方でこれほど印象を変えるのだと知った。

パリのピカソ美術館には素晴らしい作品が揃えられているが、ピカソの全体像に少しでも触れたいと思うならバルセロナがいいと思う。

パリの女性
 写真で一番心に残っているのはパリで見た女性のポートレートだ。
ギャラリーの窓越しに中をのぞいていた妻に呼ばれ、行ってみると、 
夜なのでドアはしまっていたが、鉄格子付きのガラス越しにその写真はしっかりと照明されていた。
その時はモデルとして同行する女性達がいたので、残念ながら改めて見には戻れなかった。

自分の胸に軽く右手をあてただけの裸の女性が、極めて自然に屈託なく、微笑むともなくおだやかに前を向いている。
モノクロの背丈以上の大きな写真だった。

今、最も心に残る一枚となっている。もちろん作家が誰かはまったく判らない。